大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和47年(ワ)11137号 判決

原告

熊谷惣治

熊谷初子

右両名訴訟代理人

井上恵文

外四名

被告

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

宮北登

外四名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告は原告らに対し各金九四四万三〇八八円及び内金八五九万三〇八八円に対する昭和四六年三月二八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二、請求の趣旨に対する答弁

1  主文と同旨。

2  被告敗訴のときは担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  (当事者)

原告熊谷惣治は亡熊谷治(以下「治」という。)の父であり、原告熊谷初子はその母である。

吉田良雄、秋丸恵、小林外次、高山和人はいずれも昭和四六年三月二二日当時、被告から任用された公務員で、自衛官として陸上自衛隊武山駐とん地第一教育団第一〇五教育大隊第三一二共通教育中隊(以下「本中隊」という。)に所属し、順次中隊長、区隊長、第一一営内班々付、第一二営内班々付の地位にあつた。

2  (本件事故の発生)

治は、昭和四六年一月八日陸上自衛隊に入隊し、直ちに本中隊第一一営内班に配属されて、他の新入隊員と共に神奈川県横須賀市御幸浜一番一号所在の営舎に起居しながら、新隊員課程の教育訓練を受けた。

右教育訓練の前期課程が終了した昭和四六年三月二二日の午後九時三〇分ころ、右営舎北側二号館三〇九・三一一号室の第一一営内班居室(以下「本件居室」という。)において、治は、同班の隊員である杉浦香三(以下「杉浦」という。)が、他の隊員はベツドで就寝しているのに僚友をからかうなどして騒いでいたのでこれを注意したところ、杉浦と口論になり、憤激した同人にその所携の果物ナイフで腹部を刺され、腸間膜損傷などの傷害を負い、よつて同月二八日午前五時二〇分ころ、入院先の同市林三丁目一番七号武山加藤医院において、右傷害に基づく汎発生化膿性腹膜炎により死亡した。

3  (被告の責任原因)

(一) 公務員の不法行為に基づく責任

(1) 本件事故当時、治、杉浦らとともに新隊員課程の教育を受けていた隊員は、いずれも年令一八才から一九才の少年であり、しかも自衛隊法施行規則五一条、自衛官の居住場所に関する訓令一条に基づき駐とん地内の営舎に居住することを義務づけられて共同生活を営んでいたのであるから管理職の地位にある自衛官は、これら隊員の生命・身体の安全を確保するについては万全の意を用うべきであつた。このため、管理者たる自衛官は、新入隊員の共同生活において隊員同志の間に喧嘩闘争が発生する事態を認識したときは、直ちにこれを制止すべき(以下「制止義務」という。)であるのは当然のこととして、日頃から隊員に協調性、非暴力の指導をなし、隊の規律を厳正に維持する(以下「指導義務」という)とともに、常に隊員の行動に注意して(以下「監視義務」という)、少年の共同生活から生じがちな喧嘩闘争を未然に防止すべき職約上の義務があつた。

(2) しかるに、

(イ) 班付として営内班長を補佐する地位にあつた小林外次、高山和人の両名は、本件事故当時本件居室に同室し、治と杉浦が口論し争つているのを認識しながら、前記制止義務を怠り、何らこれを制止する措置をとらなかつた過失により、本件事故を生ぜしめたものである。

仮に小林外次について右の主張が認められないとしても、同人は前記監視義務に違背して、本件事故当時まだ消灯時間前であるのに本件居室内の自己のベツドで仮眠状態に陥り、治と杉浦の争いに気づかなかつた過失により、本件事故を生ぜしめたものである。

(ロ) 上級の管理者である本中隊長吉田良雄、区隊長秋丸恵の両名は、前記指導義務に違背して、その指揮下にある営内班の規律の弛緩を招来し、隊員が消灯時間前に騒いだり、凶器をもつて暴力をふるうなどし、隊員を直接指導、監督する任にある班付らもこれを制止しないで放置するという事態に至らしめた過失により、本件事故を生ぜしめたものである。

(3) 右のとおり、本件事故は被告の公権力の行使にあたる公務員である前記四名が、その職務を執行するにつき過失があつたことにより生じたものであるから、被告は国家賠償法一条一項若くは民法七一五条一項に基づく損害賠償責任を負う。

(二) 債務不履行に基づく責任

仮に(一)の主張が認められないとしても、被告はその被用者である治に対し、雇用契約に基づいて、同人の営内生活における生命、身体の安全について配慮すべき、いわゆる安全配慮義務を負つていたところ、右義務の履行を怠つたため、本件事故が発生したものであるから、債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。

4  (損害)

(一) 治の逸失利益

治は死亡当時満一八歳であつたから、六七歳に至るまでの四九年間は十分稼働し収入を得ることができたはずである。ところで、労働省統計情報部編賃金センサスによれば、昭和四六年度における全産業小学・新中卒男子労働者の平均給与額(きまつて支給する現金給与額及び年間賞与その他の特別給与額)は年額金一一〇万四七〇〇円である。そして、治の生活費は、全稼働期間を通じて平均五〇パーセントとみるのが妥当であるから、これを収入額から控除した純収入額を四七年間にわたり受取るものとして、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して本件事故当時の現価を求めると、次のとおり合計金一三四八万六一七七円となる。

原告らは治の右損害賠償債権を法定相続分に従い、各二分の一宛相続したから、その金額は各金六七四万三〇八八円となる。

(二) 慰藉料

治は自己の将来に胸をふくらませ、希望にみちて自衛隊の教育訓練にいそしんでいた矢先、本件事故にあつたものであつて、同人の精神的苦痛は測り知れないものがある。また、長男である同人を年若くして失つた原告らの悲しみは、一生癒し難いものがある。

よつて、治及び原告らの精神的損害に対する慰藉料として(治の慰藉料は原告らが各二分の一宛相続したものとして)、原告らは各金二〇〇万円の支払いを受けるのが相当である。

(三) 損害の填補

原告らは、杉浦の父から損害賠償の内金として金三〇万円の支払いを受けたから、その二分の一にあたる一五万円を各々前記損害額から控除する。

(四) 弁護士費用

原告らは、右損害賠償金を訴訟により被告から取立てるため、本件訴訟代理人である井上恵文ほか四名の弁護士に本件請求手続の遂行を委任し、その報酬として右賠償金の約一〇パーセントにあたる金八五万円を各支払うことを約した。

5  (結論)

よつて、原告らは被告に対し損害賠償金として、各金九四四万三〇八八円及び弁護士費用を除く内金八五九万三〇八八円に対する治の死亡の日である昭和四六年三月二八日から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、治が杉浦に果物ナイフで刺されるまでの経緯及び熊谷泊の受傷と死亡との相当因果関係は否認するが、その余は認める。

本件事故発生の経緯は次のとおりである。すなわち、昭和四六年三月二二日午後九時三〇分ころ本件居室において、杉浦と同じ第一一営内班の隊員である生方辰明(以下「生方」という。)との間に、ささいなことから口論が起り、これをみた治が日頃から親交のあつた生方に加勢して杉浦に対して制裁を加える意思で、同人の頭髪を引張り、さらには同人の胸部や腹部を三回ほど足で蹴るなどの暴行を働いたため、これに激昂した同人がその所携の果物ナイフで治の腹部を突きさしたものである。

また、治の死亡は、直接的には、原告主張の武山加藤医院に入院していた同人が、受傷から五日後の昭和四六年三月二七日、病室外に出て水道の蛇口から多量の水を飲んだことに起因するものであつて、その死因は腸管麻痺である。

3(一)(1) 同3(一)(1)の管理職の地位にある自衛官らの職務上の義務に関する主張は争う。

原告主張のとおり、教育中の新入隊員は駐とん地の営舎内に居住することが義務づけられているが、八時から一七時までの勤務が終了すれば、特別勤務の場合を除いてその行動が拘束される訳ではない。そして、当然のことながら、勤務時間外の生活は、未成年者であつても、その良識と良心に基づいて自ら律することを本旨とするのであるから、かかる隊員の勤務時間外の生活に対する管理者の関与の在り方は、せいぜい個人生活を尊重しつつその自律心を助長し、他との調和を図るよう指導するに止まり、原告主張のように隊員同志の喧嘩闘争についてまで、これを防止すべき職務上の義務は負わないというべきである。

(2)(イ) 同3(一)(2)(イ)の事実のうち、小林外次、高山和人の両名が本件事故当時本件居室に同室していたことは認めるが、右両者に過失があつたことは否認する。

まず、右両名は本件事故当時、教育指導方法についての集合教育に参加するため、各々第一一営内班、第一二営内班に配属されていたにすぎず、新入隊員らの上官たる地位にあるものではないから、もともと右両名について、原告主張のような職務上の義務を論ずること自体失当である。

仮に、右の主張が認められず、右両名が抽象的には制止義務を負つていたとしても、両名は本件事故発生の経緯を認識していなかつたのであるから、具体的な義務違背がない。

すなわち、本件事故発生の当夜は、約三か月間にわたる新隊員課程の前記教育が終了した日であり、翌日には各隊員が全国各地の部隊に転属することになつていたため、本件居室では隊員同志が交々別れを惜しみながら就寝時間(午後一〇時)までの自由な時間を過ごしていた。そのさ中に、前記のような治と杉浦の喧嘩が始まつたのであるが、右両名はとくに大声を発することもなかつたので、その喧嘩の過程は同室していた二、三の隊員が部分的に認知したに止まり、とくに治が杉浦の胸部・腹部を足で蹴つた模様を目撃したものはほとんどいないという状況であつた。従つて、喧嘩の行なわれた場所からやや離れた位置にいた小林外次や高山和人は、右喧嘩の発生を認知しうべくもなかつたのである。

なお前記被告主張のとおり、小林外次には隊員の行動を監視する義務はなかつたのであるから、同人の過失に関する原告の予備的主張はその前提において失当である。

(ロ) 同3(一)(2)(ロ)の事実は否認する。

吉田良雄、秋丸恵の両名は、いずれも部下の信望が厚く、その指導力は定評のあつたところで、両名の指揮下にある営内班の規律は厳正に維持されていた。

(二) 被告の安全配慮義務に関する原告の主張は争う。

仮に右義務があるとしても、被告がこれに違背したことは否認する。

4  同4のうち、損害額算定の基礎となる事実はいずれも不知、損害額は争う。

三、抗弁

1  (安全配慮義務違背について)

前記のとおり、被告およびその被用者たる本中隊々長、同区隊長、同班付らには、本件事故発生につき過失がなかつた。

2  (過失相殺)

本件事故発生後、治は直ちに横須賀市内の武山加藤医院に運ばれ、同医院山形医師の執刀により手術を受けたが、同医師の診断によれば、治の傷害の程度は「腸管損傷、腸間膜損、大網膜損傷」により向後三週間の安静加療を要するとのことであり、手術後の経過は良好で快方に向いつつあつた。ところが、昭和四六年三月二七日午前八時三〇分ころ、治に付添つていた原告らは同人を病室外に連れ出し、水道の水を飲ませようとした。たまたま、同人を見舞うため同医院に来院していてこれを目撃した本中隊区隊長秋丸恵は、手術後間もない患者に急激な体動を与えたり、多量の水を飲ませたりすることは危険であることを知つていたので、原告らを制止しようとしたが、原告らはこれに耳を貸さず、秋丸恵の身体を払いのけるなどし、この間に治が水道の蛇口にとびついて多量の水を飲んだ。右のようにして水を飲んだ同人が病室に戻つた直後から、同人の容態が急変し、医師が回診したところ、手術を施した腹部の縫合部から水状のものがにじみ出していたので、原因究明のため再手術を施したが、結局効を奏さず、翌二八日午前五時二〇分ころ、腸管麻痺により死亡したものである。

右の経過からすれば、治の死亡については、手術後間がない同人が多量の水を飲み、原告らもこれを容認したという「被害者側の過失」が、少くともその一因をなしていることが明らかであるから、損害額の算定にあたつては過失相殺が考慮されるべきである。

四、抗弁に対する認否

抗弁1の事実は否認する。

第三  証拠〈略〉

理由

一以下の事実は当事者間に争いがない。

治が昭和四六年一月八日陸上自衛隊に入隊し、同年三月二二日まで本中隊第一一営内班に配属されて新隊員課程の前期教育を受けたこと、右前期教育の課程が終了した前同日、同人は本件居室において、同班の隊員杉浦にその所携の果物ナイフで腹部を刺され、腸管・腸間膜損傷などの傷害を負い、同月二八日午前五時二〇分ころ入院先の横須賀市林三丁目一番七号武山加藤医院において死亡したこと。

二(本件事故の経緯)

〈証拠〉を総合すれば次の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

昭和四六年三月二二日当時、本件居室は、治と時を同じくして陸上自衛隊に入隊し、本中隊第一一ないし第一三営内班に配属された新入隊員三六名と右各班の班付三名の居住場所にあてられており、同室内には南北両側に各隊員および班付用の上下二段式ベツドが並べられていた(その配置状況については別紙図面参照)。右第一一ないし第一三営内班の隊員らは、同日午後九時ころ本件居室において当日の日夕点呼を受け、午後九時三〇分ころには各自のベツドに入つて、思い思いに消灯時間(午後一〇時)までの自由な時間を過ごしていた。この時杉浦は、自己のベツドで(別紙図面)第一三営内班の山川隊員とレスリングの真似をしてふざけ合つていたが、たまたま同人が右ベツドに逆立ちするような姿勢になつたはずみに同人の足が西隣のベツドに当つたので、同ベツドの上段(同図面①)に寝ていた第一一営内班の隊員生方が、杉浦に向つて「うるせえ。」とややとげを含んだ言葉で注意した。これに対して杉浦も反発し、「なんだ、生方。」とやり返したため、両者が各々の位置でにらみ合う状態になつた。そこへ、生方の西隣のベツド(別紙図面②)に居て同人の怒鳴る声を聞きつけた第一一営内班の隊員金俊明(以下「金」という。)がやつてきた。同人は、日頃から生方とは親しく交際しており、他方杉浦に対してはその言動に嫌悪の念を抱いていたので、生方からこの間の事情を知らされるや、この機会に杉浦に対し制裁を加えようと考え、同人に対し「起きろ。」といいながら同人のベツドを足で蹴るなどの挑発行為に及んだが、同人はこれに取り合わなかつた。かくするうちに、生方が金に対し「俺が話をつける。」といつて同人を制止し、杉浦が寝ているベツドに入り込んで同人に謝罪を求めたところ、同人も自己の非を認めて謝つた。この間、金は前記生方のベツドに登つて、同人と杉浦との話合いの成行を見守つていたが、そこへ治がやつてきて金に「どうしたんだ?」と尋ねた。治は、日頃から生方や金とは親交があり、杉浦に対しては金と同様の感情を抱いていたが、金からことの次第を聞くと、一たん自己のベツドへ戻つて行つた。

ところが、生方が杉浦との話合いを終つて自己のベツドに戻つた直後、治は再び杉浦のベツドの脇(別紙図面の位置)にやつてきて、同人に対し「起きろ。」「ベツドから出てこい。」などといいながら同人の頭髪をつかんでその半身を引き起こし、次いで同人の胸部を三、四回毛布の上から足で蹴るなどの暴行を加えた。右の暴行に対し杉浦は、次の攻撃を避けるとともに、治に対し反撃を加える意思で、自己のベツドの枕元においてあつたズボンをつかみ、ベツドの東側に降りたところ、再び同人から胸部を一回蹴られた。その際、杉浦の手にしたズボンのポケツトから果物ナイフが飛び出し、音を立てて床(別紙図面)に落ちた。これに気づいた同人は、右ナイフをもつて脅せば治が驚いて暴行を止めるものと考え、これを拾いあげるや、自己のベツドの南側を迂回してその西側(別紙図面)に立つている治の方に近づいていき、途中(同図面)でナイフを鞘から抜き払い、これを右手に持つて腰の辺りに構え、同人に向つて「やれるものならやろうじやねえか。」といつて脅迫した(同図面)。ところが、治が「やるならやつてみろ。」と昂然たる態度で答えたため、杉浦は先刻来治から暴行を加えられたくやしさも手伝つて憤激し、とつさに同人をめがけて突進し、その腹部に右ナイフを突き刺した(別紙図面×)。治は右の攻撃に耐え切れず、刺された腹部を両手で押えて後ずさりし、最寄りのベツド(別紙図面)にうづくまつたが、事態に気づいてかけつけてきた僚友らの手で直ちに営舎内の医務室に運ばれた後、同日のうちに最寄りの救急指定病院である前記武山加藤病院に入院した。治の傷は前記のとおり腸管損傷、腸間膜損傷などの重傷であつたため、同病院山形医師の執刀により直ちに手術が施されたが、その容態は重体で、同医師は一週間以内に快方に向えば生命をとりとめる見込みがある旨の診断を下した。しかしながら、治の容態は香しくなく、右手術のため施された麻酔がきれた後は、身体をのたうつて苦しがる状態が続き、同月二四日午後からは汚物状の流動物を大量に吐しやするようになつた。かくして、同月二七日に至つて同人は、郷里の群馬県で過した日々の記憶をうわ言のように口にし、その顔面にはくまが生じる状態になり、同日午後二度目の手術が施されたが、効を奏さず、ついに翌二八日死亡した(二度目の手術が施された理由及び直接の死因については、証拠上これを確定することができない。)。

右認定事実によれば、治は杉浦から受けた傷害に因り死亡するに至つたものと推認するのが相当である。

この点に関し被告は、治の死亡は同人が前同月二七日多量の水を飲んだことに因るものである旨主張する。なるほど、証人吉田良雄、同小林外次の各証言、原告熊谷初子本人尋問の結果によれば、治は初回の手術を受けた翌日ころから強いのどの乾きを訴えていたが、医師からは少量の水の飲用を許可されていただけであること、前同日原告熊谷惣治およびその弟らが、自衛隊の射撃場をみたいと哀願する治の求めに応じて、同人を抱きかかえて病室外に連れ出したが、その際同人が水道の蛇口に口をあてて多量の水を飲んだこと、その直後同人の腹部の縫合部から青緑色の液体がにじみ出してきたことが認められる。しかしながら、右事実と前記認定事実を併せ考えれば、前同日治が多量の水を飲んだというのも、死期の迫つた同人が強いのどの乾きに耐えかねて、いわば「末期の水」を飲んだともみられ得るから、右事実のみをもつてしては、まだ治が多量の水を飲まなければ同人が死亡するという事態は生じなかつたであろうとの疑いを抱かしめるには足りず、他に前記推認を左右するに足りる証拠はない。

三(被告の責任について(一)―不法行為責任)

そこで次に被告の不法行為責任について検討する。

1  自衛隊法施行規則五一条、自衛官の居住場所に関する訓令一条によれば、一等陸・海曹以下の階級にある自衛官は、原則として駐とん地内の営舎に居住することを義務づけられており、これを受けて陸上自衛隊服務規則、同細則では自衛官の営舎における居住を「営内生活」と呼称し(同規則二条)、これに関して詳細な規定を設けている。

まず、かかる営内生活の目的については、自衛官が自らを律しつつ人格の修養及び教養の向上、とくに自衛官として必要な資質のかん養に努め、勤務と相俟つて自衛隊本来の使命を完遂するための素地を修練することにある(同規則三六条一項、同細則七八条)とされる。そして、かかる営内生活に対する部隊長、中隊長等の上級管理者の指導の指針として、各自衛官の自律心の向上と人格の修練を助長すること及び各自衛官の個性を重んずること(同規則三七条、三八条)を規定したうえ、中隊長等は営内生活に関する服務を適切にするため、中隊等を数個の営内班に分けて陸曹及び陸士を分属させ、班内の先任の陸曹を営内班長に任命する(同規則一三条一項)ものとし、更に班には営内班長の補佐者として、班付を一名ないし二名おくことができる(同条三項)としている。右営内班長の職務に関しては、同規則一三条二項に、営内班長は中隊長等の命を受けて営内生活に関し班員の服務を指導し、係幹部の指示を受けて所定の業務の実施につき班員を監督する旨の一般的規定があるが、同細則一四条にはその職務が具体的に定められている。すなわち、同規定によれば、営内班長は親愛の情をもつて班員らの世話を行うとともに、その融和を図らなければならない(同条一項)とされ、その日常の職務として、①班員に対する上官の命令・意図を伝達し徹底する②点呼時に人員及びその状況を点検して当直幹部に報告する③班員の身上に注意するとともに、その希望、苦情等を承知し、必要な事項を中隊長等に報告する④班員の諸規定の履行、個人衛生その他定められたしつけについて指導する⑤班員の食事、入浴、睡眠等に注意する⑥班員の健康に注意し、疾病の早期発見に努め、受診を要するものがあるときは、中隊等付准陸尉、先任陸曹又は当直陸曹に通報する。洗濯等の手続を行う⑦班内の清潔整とんその他環境の整理改善を図る⑧班内の火災予防その他の安全管理に任ずる⑨その他中隊長の命ずる事項を行う(同条二項)などの責を負うべきものとしている。

他方、営内生活における隊員の起床、点呼、消灯などの時間は統一的に定められ、外出、外泊については一定の制限が付されている(同規則三〇条ないし三五条、同細則五八条ないし七六条)。

2  右の諸規定及び証人吉田良雄の証言によれば、陸上自衛隊においては、まだ隊経験の浅い隊員(新入隊員を含む。)に自衛官として必要な人格的資質を身につけさせるため営内生活を義務づけ、統一的集団生活を通じて態度、心構え等を修練すべきものとし、かかる修練を営内生活に関する服務と称して、これを勤務と並んで自衛隊の任務遂行に資するものとしていること、右のような営内生活に関する服務の遂行を効果的にするための組織として営内班を設け、これを運営する職制として営内班長を置き、更にその補助者たる班付を置き得るものとしていること、右営内班長の職務として規定された事項は、組織原則に照らして上級の管理者の職務に由来するものであるから、中隊長、区隊長等も当然に右営内班長と同様の職務を負う(但し、その管理範囲は異なる。)ものであることが明らかである。

3  ところで、原告らは、本件事故当時、本中隊に所属して新隊員課程の教育を受けていた隊員らは、いずれも年令一八才から一九才の少年であり、また彼等は前記のとおり営内生活を義務づけられていたものであるから、本中隊の管理者たる自衛官はかかる隊員の生命・身体の安全確保に万全の意を用いるべく、このため営内生活における隊員同志の喧嘩闘争を防止するについて前記制止、指導、監視の各義務を負つていた旨主張する。

〈証拠〉によれば、本件事故当時、本中隊に所属して新隊員課程の教育を受けていた隊員達のほとんどが未成年者であり、その平均年令は19.2才程度であつたことが認められ、右の事実および成立に争いのない甲第三号証の文言、営内班長の職務につき定めた前記陸上自衛隊服務規則、同細則の諸規定(とくに同細則一四条一項、二項四号、六号、八号)の各趣旨に照らして考えれば、本中隊の管理者たる自衛官は、営内生活における隊員の生命及び身体の安全を保護すべき義務があり、その中には隊員の間に行われる喧嘩闘争を未然に防止すべき義務も含まれていたというべきである。しかしながら、右義務の具体的内容についてみると、右隊員らは未成年者とはいつてもほぼ成人に近い年令層に属し、自己の行為の責任を弁識するに足りる精神能力すなわち責任能力を備えているものとみられ、右のような年令にある者はその自主的判断に基づいて自己の行動を統制するものと期待しうるうえ、自衛官の営内生活においては、隊員の間に喧嘩闘争が行われやすい状態にあるとも考え難いから、本中隊の管理者たる自衛官としては、前記制止、指導の各義務はこれを当然に負うとしても、隊員同志の喧嘩闘争の発生が客観的に予測されるような特段の事情がある場合を除いては、逐一隊員の行動とその結果について監視するまでの義務を負うものではないというべきである。

4  そこで、以上の説示を前提にして、本件事故につき本中隊の管理者たる自衛官に過失があつたか否かを検討する。

(一)  まず、原告らは、小林外次、高山和人の両班付は、本件事故当時本件居室内に同室し、治と杉浦の喧嘩闘争を認識していながら、前記制止義務を怠つてこれを制止しなかつた過失がある旨主張する。

本件事故当時、小林外次が本中隊第一一営内班の、高山和人が同隊第一二営内班の班付の地位にあり、右両名が本件居室内に同室していたことは当事者間に争いがなく、前掲各証拠によれば、小林外次は本件事故発生の約一五分前ころから、自己のベツド(別紙図面⑤)内で週刊誌を読みはじめ、その直前ころには仮眠状態に陥つていたこと、高山和人はそのころ自己のベツド(同図面⑪)で隊員から頼まれた寄せ書を書いていたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そうとすると、小林外次は職務として、高山和人は職務に密接に関連する事項として、前記制止義務を負つていたものというべく、これに反する被告の主張は採用の限りでない。

ところで、原告の右主張のうち小林外次、高山和人の両名が治と杉浦の喧嘩闘争を認識していたこの点は、これを直接に認め得る証拠はなく、右小林、高山の両名はその証人としての供述において、いずれも治が刺されるまで事態に気づかなかつた旨述べている。そこで、右の点を判断するにあたつては、一つの手がかりとして、本件事故当時本件居室内に同室していた隊員達(但しその一部で、右小林、高山の両名を除く。)が治と杉浦の喧嘩闘争の状況をどの程度認識していたかをまず確定し、これに基づいて右両者の喧嘩が本件居室内に同室していた他の者にとつて客観的に認識可能であつたかどうかを検討するとともに、前記小林、高山両名の証言部分の信憑性について判断することとする。

前掲各証拠(但し証人斉藤達也、同杉浦の各証言についてはいずれもその一部)によれば、次のような事実が認められる。

本件事故発生の直前ころは、消灯時間前の自由時間であつたことから、本件居室内では各所で隊員達が会話するなどの声が飛びかい、加えて同室の南側に廊下を隔てて位置する三一〇・三一二号室および同室の西側に隣接する三〇七号室においても、他班の隊員達が隊歌を歌うなどしており、これらの声が入り混つて本件居室内は全体としてかなり騒々しい状況にあつた。前記のような治と杉浦の喧嘩闘争は、かかる状況の下でなされたのであつて、右の闘争に気づいていた者も必ずしもその全過程にわたつて認知しているわけではなく、中には至近距離に居ながら全くこれに気づかなかつた者もいる。これを個別的にみると、

(1) 生方隊員

同人は、前記認定のとおり杉浦に謝罪させた後自己のベツド(別紙図面①)に寝ていたが、同所で、治がすぐ東隣の杉浦のベツドの脇(同図面)にやつてきたところから同人に刺されるまで(もつとも、生方は杉浦がナイフを手にしていたことは認知しておらず、同人が手拳で治の腹部を突いたものと思つていた。)の過程をすべて目撃し、この間治が杉浦に向つて発した「起きろ。」「やれるならやつてみろ。」ということばを耳にしている。

(2) 金隊員

同人は、前記認定のとおり杉浦に対して制裁を加えようとして生方に制止された後、自己のベツド(別紙図面②)に戻り、同所で西隣のベツドに居た斉藤良昭と会話を交していたが、その際治が杉浦のベツドの脇にやつてきたところを目撃している。しかし、金は治が杉浦に対して「起きろ。」と云つた声は聞いていないし、治が杉浦に暴行を加えたことにも気づいていない。金が治と杉浦との闘争に気づいたのは、同人が自己のベツドの東側に降りて落ちたナイフを探しはじめてから以降のこと(但し、金は杉浦がナイフを探しているものとは知らなかつたし、同人がナイフを手にしていたことにも気づいていない。)であるが、治の「やるならやつてみろ。」という声を耳にするや、すぐに自己のべツドからとび降りて、治と杉浦が向い合つている地点に走つていつた。しかし、金が同所に着いた時はすでに治が刺された後であつた。

(証人杉浦の証言中右認定に反する部分は信用しない。)

(3) 斉藤良昭隊員

第一一営内班の同人は、自己のベツド(別紙図面④)で休んでいたところ、治と杉浦の口論する声を聞いた(但し、口論の内容については記憶がない。)ので両者の喧嘩に気づき、声の方向に目をやつて、両者が向い合つて立つている(同図面、)のを目撃している。そして、次の瞬間斉藤良昭は石井隊員(別紙図面③)の身体にその視界をさえぎられ、再び気づいたときには治がすでに倒れていた。

(4) 斉藤達也隊員

第一二営内班の同人は、自己のベツド(別紙図面⑩)で就寝しようとしていたところ、向い側のベツドの方で騒ぐ声がしたので何気なくその方向を振り向き、杉浦がナイフを探しているのを目撃している(しかも、右斉藤はその際、一人の隊員が杉浦に「ナイフはベツドの下に落ちている。」と教える声を耳にしている。)そして、右斉藤は、これに続く喧嘩闘争の過程をすべて見ており、とくにナイフを手にした杉浦が血相を変えて治の方に近づいていくのを認めるや、危険を感じてすぐに右両者が向い合つている地点にかけつけたが、治の「やるならやつてみろ。」という声が聞こえた次の瞬間杉浦がナイフを突き立てたので、これを制止するに至らなかつた(なお、証人斉藤達也の証言中には、同人は杉浦がナイフを手にしていたことは見ていない旨の供述部分があるが、他方、斉藤達也の昭和四六年三月二三日(本件事故発生の翌日)付陸上自衛隊第三六七警務隊陸曹に対する供述調書(甲第五号証)中には、杉浦がナイフを手にしていたのを目撃した旨の供述記載があり、右二つの供述を対比すれば、記憶の鮮明な時期になされた後者の方が信憑性が高いと考えられるから、前記証言部分はこれを信用しない)。

(5) 野村衛隊員

第一二営内班の同人は、自己のベツド(別紙図面⑨)で同班の宮城隊員と将棋を指していたが、これに注意を奪われていたので、治と杉浦の喧嘩闘争の過程には全く気づいていない。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そこで、右認定事実に即して、小林外次、高山和人の両名が治と杉浦の闘争の過程を認知していたか否かについて判断する。

(1) まず、治が杉浦に暴行を加えた過程(以下「第一の過程」という。)については、同人のベツド近くにいたごく少数の者がこれを認知するに止まつたものと考えられる(小林外次、高山和人の各ベツドの位置からは立ち並ぶ二段式ベツドに視界をさえぎられて、別紙図面の地点が見えにくい状態にある。)から、右両名は第一の過程を認知していなかつたものと推認するのが相当であり、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2) 次に、杉浦が自己のベツドから降り、落ちたナイフを拾つて治に近づき両者が向い合うまでの過程(以下「第二の過程」という。)については、小林外次、高山和人の両名にとつても視界の障害はなく(但し、小林については、杉浦がナイフを拾つたところを目撃するのは困難であつたと考えられる。)、前記認定のとおり、金および斉藤達也の両名もこの時点で喧嘩闘争に気づいていること、また証人杉浦の証言によれば、同人のベツドの南側対面付近のベツドにいた隊員達の一部もこれを目撃していたものと認められること(証人杉浦の証言中には、第二の過程は「全員」が注目していたが、そのうち氏名を特定できるのは第一二営内班の内山、宮城、津久井の各隊員(右各人のベツドは順次別紙図面⑥、⑦、⑧)である旨の供述部分がある。右にいう「全員」とはいかなる範囲の者を指すかは必ずしも明らかではなく(仮に、それが「本件居室内にいた全員」の意味であるとすれば、前記認定に反するものとして措信できない。)、また、氏名を特定された隊員達が当時そのベツドに居たことについても確証はない(かえつて、証人野村衛の証言によれば、宮城隊員は当時自己のベツドに居なかつたことが認められる。)が、右供述部分は、前掲甲第五号証、証人斉藤達也の証言と対比すれば、杉浦のベツドの南側対面付近のベツドに居た隊員達の一部が第二の過程をみていたという限りにおいては信用できる。)などから、治と杉浦の闘争はこの時点において、かなりの程度周囲の注目を集めるに至つたものと考えられる。しかしながら、他方、至近距離にいた斉藤良昭、野村衛の両名がこれに気づいていないこと、右第二の過程を目撃した隊員のうちには、杉浦がナイフを手にしていることには気づかず、従つて事態の重大さを認識しなかつた者も少なからずいると考えられることなどに鑑みれば、前記事情のみをもつて直ちに小林外次、高山和人の両名が第二の過程(とくに杉浦がナイフを手にしている事実)を認識していたものと推認することは難しく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(3) 最後に、杉浦と向い合つた治が「やれるならやつてみろ。」ということばを発してから杉浦に刺されるまでの過程(以下「第三の過程」という。)については、前記認定のとおりその時間的間隔はほとんど瞬時といえるものであつたから、仮に小林外次、高山和人の両名が治の右のことばによつて事態に気づいたとしても、もはや杉浦を制止して本件事故の発生を避止することは不可能若くは著るしく困難であつたものというべく、従つて第三の過程においては右小林、高山の両名に制止義務が発生する余地はなかつたというべきである。

以上のとおりであるから、原告の制止義務違反の主張は理由がない。

(二)  原告らは、(仮に右(一)の主張が認められないとしても)小林外次には前記監視義務に違反して消灯時間前に自己のベツドで仮眠状態に陥り、治と杉浦の喧嘩闘争に気づかなかつた過失がある旨主張する。

しかしながら、前示のとおり本中隊の管理者たる自衛官は、喧嘩闘争の発生が客観的に予測されるような特段の事情がある場合を除いては監視義務を負わないと解すべきところ、本件事故は、前記認定のとおり、いくつかの偶然の事情(例えば、山川隊員の足が生方のベツドに当つたこと、金、治の両名がいずれも内心杉浦に対し嫌悪の情を抱いていたこと、杉浦のズボンのポケツトからナイフが落ちたこと等)が重なり合い、これらが要因となつて発生した突発的事故であつて、小林外次において当初からその発生を予測することはきわめて困難であつたといわなければならない。

もつとも、仮に小林外次が、生方または金と杉浦の口論の過程を認識し、治がこれに関与する意思で杉浦のベツドに近づいていつた事実を認知していたとすれば、事の成行如何によつては治と杉浦との間に喧嘩闘争が発生することも予想されるから、右両名の行動に注意を払うべきであつたといい得る余地もある。この点に関し、前掲甲第八号証には、本件事故発生の翌日小林外次が原告熊谷初子に右事故の経緯について説明したことばとして、「熊谷(注=治のこと)は決して悪くないのだ。初めに杉浦と他の隊員がふざけていたところ、騒々しいので杉浦の上の段にいた生方辰明二等陸士が『うるさい。』といつたので杉浦と口論となつたので、今度は金俊明が騒ぎに加わつた。……(中略)……あまりうるさいので熊谷が『静かにしろ』といつたので杉浦と何か言い争いになつたようだ。」との供述記載があり、他方、原告熊谷初子本人尋問の結果中には、前同日小林外次が同原告に対し、「熊谷(注=治のこと)が(べツドから)降りていつたから、けんかは治まるな、と自分は思つた。」と語つた旨の供述部分がある。しかしながら、前者については、その「……あまりうるさいので、熊谷が『静かにしろ』といつた……」との部分は、明らかに前記認定にかかる本件事故の経緯に符合しない(治が杉浦のベツドに出向いていつたのは、杉浦が生方に謝罪し、両者の口論が一応落着した後のことである。)し、前掲各証拠によれば、生方若しくは金と杉浦の口論の声はさほど大きなものではなかつたこと、斉藤達也、野村衛の両名も右口論がなされたことを知らないか、若しくは記憶がないこと、治が杉浦に暴行を加える直前同人に向つて云つたことばは、生方(当時別紙図面①の位置にいた。)にも聞こえなかつたことが認められるから、これらの事情を総合して考えると、前記小林外次の原告熊谷初子に対する本件事故の経緯に関する説明は、右小林が自己が体験した事実を語つたものではなく、本件事故発生後に他の隊員などから伝聞したところを要約し、同原告を慰藉する気持を含めて語つたものと推認するのが相当である。また、後者の供述部分については、そこに表示されている小林のことばが、班長を補佐して隊員の指導にあたるべき地位にあつた同人のことばとしてはきわめて不自然であるうえ、前記のとおり、小林は生方若しくは金と杉浦の口論を認識していなかつたものであるから、小林の口から右のようなことばが語られたということ自体疑わしいといわなければならない。

その他、小林外次において治と杉浦の喧嘩闘争の発生を予測しうる、特段の事情の存したことを認めるに足りる証拠はない。

そうとすると、小林外次には前記監視義務がなかつたものというべきであるから、同人に右義務に違背した過失があつた旨の原告の主張は理由がない。

(三)  原告らは、本中隊々長吉田良雄、同区隊長秋丸恵の両名に前記指導義務を怠つた過失がある旨主張する。

本件事故当時、吉田良雄が本中隊々長、秋丸恵が同隊区隊長であつたことは当事者間に争いがないが、本件全証拠によつても右両名が前記指導義務を怠つたことを認めることはできないから、原告らの右主張は採用の限りでない。

四(被告の責任について(二)―債務不履行責任)

原告らは、被告は治との雇用契約に基づき、被用者たる同人の営内生活における生命、身体の安全について配慮すべき義務があつたところ、右義務の履行を怠つたことにより本件事故が生じたものである旨主張する。

治が本件事故当時被告の被用者であつたことは当事者間に争いがなく、また、前記のとおり、陸上自衛隊における営内生活は自衛官としての任務の一部であり、被告の指揮、監督権はそこにも及んでいると解されるから、本件事故当時治は「公務」に従事していたものというべきである。

ところで、被告は、その雇用者たる国家公務員に対し、雇用契約に基づいて、当該公務員が被告又は上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、公務員の生命、健康等を危険から保護するよう配慮すべき一般的義務があり、その具体的内容は当該公務員の職種、地位、当該公務を遂行するに当つての具体的状況等の要素を考慮して定められるべきものと解するのが相当である。ただし、右義務は、被用者たる公務員が被告の指揮監督に服しつつ誠実に公務遂行にあたるべき義務に対する反対給付として、信義則上認められるものであるから、右にいう「危険」は、当該公務の遂行に内在するものであること、換言すれば、ある危険が現実化した場合、事後的に観察して当該業務と右危険発生との間に客観的な相当因果関係が肯認されることが必要であり、したがつて、当該公務とは全く無関係な、純然たる私的行為に因り発生する危険までをも包含するものではないと解すべきである。

これを本件についてみると、本件全証拠によつても、治が営内生活を送つていたことと同人の受傷(これに基づく死亡)との間に前者から後者が「経験上通常生じうる」という関係があつたことを認めることができない(前記のように、本件事故当時、治と共に本中隊に所属して新隊員課程の教育を受けていた隊員のほとんどが未成年者であり、その平均年令は19.2才程度であつたが、かかる未成年者の共同生活であるということから、そこに喧嘩闘争が発生するのが経験上通常とはいえないことも前記のとおりである。)のみならず、かえつて本件事故発生の経緯に鑑みれば、右事故は被告の公務執行とは何ら関連性をもたない純然たる私的行為に基づくものというべきであるから、被告に、かかる危険についてまでこれを防止するために治の生命、健康等を保護するよう配慮する義務はなかつたものといわなければならない。したがつて、原告らの安全配慮義務違背の主張もまた理由がない。

五(結論)

以上のとおり、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄去することとし、訟訴費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(大和勇美 上村多平 小池信行)

現場見取図〈略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例